体験談|LGBTの悩みから不登校、留年。相談できなかったつらさ
募集した中に、不登校とLGBTについて書いてくださった体験談がありました。単独で紹介します。
今でこそ、よく聞く言葉となった「LGBT」、多様性の時代で認知されてきました。
LGBT(エルジービーティー)とは、レズビアン(Lesbian)、ゲイ(Gay)、バイセクシュアル(Bisexual)の3つの性的指向と、トランスジェンダー(Transgender)という性自認の各単語の頭文字を組み合わせた表現である。
引用元:ウィキペディア
この「LGBT」が思春期の不登校の背景にあることもあります。
制服、体育の着替えや水泳、行事…学校を想像してみてください。
上記の制服や水着、これ、どんな子にとっても良いと思うんです。
少数派が特別という意識ではなく、誰もが それぞれ自由に選択できることが理想だと思います。
2001年「3年B組金八先生」第6シーズン、トランスジェンダーを演じた上戸彩さんが記憶に残っています。
当時は本当に反響があったドラマです。
あれから、20年以上経ちましたが、社会は変化しても 学校は大きく変化していません。
性自認や性的指向について悩み、生きづらさを抱えている子ども達がいます。
娘の通信制高校は、制服も体育の服装も自由、実技の選択も自由です。
義務教育の中学生までは同じことが要求されます。
思春期の長い時間を過ごす学校が変わる必要があると思います。
なかなか周りに相談しづらい。
親だからこそ話せず、苦しんでいる子も多いと思います。
この体験談から、想像してみてください。
こんにちは。私は同性愛者です。
その悩みがあり、学生時代は不登校でした。
短い期間で何度も不登校をしていました。
初めは中学一年の時でした。
もともと男子のグループとなじめず孤立気味でした。
仲良くするのは女子ばかりで、周りの男子から変な目で見られるようになりました。
その周りの目が気になるというのがストレスとなり、授業中によく腹痛を起こすようになりました。
特に静かな授業やテストの時は最悪でした。
後で調べたのですが、過敏性腸症候群というストレスが原因の病気でした。
親に内緒で学校に行かなくなり、朝、家を出ても登校せず地元の公園によくいました。
それがしばらく続くと、学校側から電話があり、親にもばれてしまいました。
そんな事を中学三年間で何度も繰り返してきました。
テスト中に腹痛が起き、名前だけを書いてすぐに保健室へ行ってゼロ点だった事も何度もあり、通知表の成績は最悪でした。
なんとか地元の全日制高校へは受かりましたが、高校時代はもっとつらかったです。
体育の時間の前に更衣室で制服を脱ぎ着替えるとういう行為、それが苦痛で苦痛でたまりませんでした。
水泳の授業はほとんど見学していました。
今と違いLGBTがあまり世間では聞かない言葉であったため、相談できる人はいませんでした。
もちろん親にも相談なんて絶対できませんでした。
中学の頃と同じように登校せずにいるとまた親にばれる。
そんな事を何度もしてきました。
親に問いただされても言えないので、定時制高校へ転校したいと何度も話した事を覚えています。
当然ちゃんと話を聞いてはもらえず、同じような学生生活を送っていました。
するとある日、担任から呼び出されて体育の単位が足りないと言われました。
もう手遅れで留年が決定したと。頭の中は真っ白でした。
留年するか?退学して仕事をするか?と親に言われました。転校という選択肢はありませんでした。
結局、留年して四年間高校へ通いました。
年下の子とも もちろんなじめず本当に地獄でした。
なんとか卒業はしましたが、いまでも学生の頃の夢をたまに見ます。
あの頃、相談できる人がいたら、本当にそれに尽きると思います。
身近に相談できる人がいるはずなのに相談したくてもしづらいと本当につらいです。
どうか話を聞いてあげてください。
悩みを聞いてあげてください。
心はずっと傷ついたままで なかなか治りません。
否定せず、自分が同じ立場だったらを考えてあげてください。
身近な人に相談ができない場合の相談先を調べてみました。
法務省人権擁護局
LGBTについて説明されており、悩んでいる人に向けて相談してくださいと言っています。
認定NPO法人 虹色ダイバーシティ
全国の相談先リスト
カラフル@はーと
相談先一覧
AGP
こころの電話相談
この体験談をきっかけに知ったのですが、ジェンダー外来がある病院、ジェンダークリニックがあります。
検索してみてください。
当サイトでは他にも多くの体験談を紹介しています。