2月になり、卒業式はどうしますか?と担任に聞かれました。
卒業面談を行う学校もあるようですが、娘の学校はありませんでした。
中学の卒業式は3月初めですね。
担任から提案された方法は3つでした。
今回の記事では卒業式のことを振り返って書きます。
ここに来てくださった方は、きっと卒業の歳のお子さんがいらっしゃる お母さまですよね。
学校に通えていなくても、卒業は一区切りです。いろいろと大変だったことでしょう。
ご卒業おめでとうございます。お母さんも、お疲れさまでした(*^^*)
式典の参加について
コロナ禍で親は1人までとなっていました。
娘と私、どちらにも参加はどうしますか?と聞かれた。
親だけ出席するパターンもあるの?
それは考えたことがなかったですね。
その頃、連日練習をしていました。入退場、卒業証書の授与、歌などですね。
練習の参加も必要ですか?と聞いたら、当日参加だけでもいいです。
娘の気持ちに任せると言われました。
先生の話だと卒業式だけ参加できる子もいるそう。
大勢の式典です。ものすごくハードルが高いと思う。
本当に不登校の子って、それぞれ違うんですよね。
子ども自身が出席したいというなら、親はその背中をそっと見守る。
何かしら区切りをつけたい、子どもなりの決心があるのかもしれませんね。
娘は参加を希望しませんでした。
直前まで迷うより、これで良かったと思いました。
卒業生の一人です。式典で名前は呼ばれます。
小学校の卒業式、返事がない子は不登校なのかなって思った。
今度はその立場になったんですよね。
不登校の子たちの2部の卒業式
午後から不登校の生徒のために2部の卒業式をやるので、そちらに参加でもいいですと言われました。
毎年10人前後、校長室で校長先生から卒業証書の授与。
後ろには3年の先生が参列。親の参加はどちらでもいいとのことでした。
娘に聞いたら、校長室がいい。そして、私は来ないほうがいいって(^^;)
1人の方が参加しやすいってことですね。私がいるとプレッシャーになるからかな。
担任が必ず来てねと言っていました。
最後ということでプレッシャーをかけてましたね。
先生から個別に手渡し
必ず来てねと言われていましたが、行けなかった場合は夕方に手渡し。1人の卒業式ですね。
それも行けなきゃ、先生の訪問、もしくは保護者が受け取りとなります。
適応指導教室に通い続けていた子は、そちらで卒業式をやると聞きました。
娘の希望通り、2部にでも参加できたらいいなと思って当日を迎えました。
それが無理なら、私一人で挨拶に行くつもりでした。
卒業式用のスーツを一応購入していましたが、それも娘のプレッシャーとなるし、クローゼットから出すことはありませんでした。
卒業式を終えた感想
当日は遅くまで親子で寝てました。外の音が全く聞こえなかった。
朝は同級生のお母さん達が通る。我が家の前は通学路なんです。
見たくないなって思いながら寝ました。そしたら、起きれませんでした。
無意識の現実逃避なのかもしれません(^^;)
娘が登校時間に寝ていた気持ちがわかったような気がしました。
昼食をとったあと、娘が着替え始めたので、私も少しきれいめな服装に着替えました。
挨拶するときに、いつものようなカジュアルな格好だと会いづらい。
かと言って気合入れたら、娘がお母さんも校長室に入るつもりって思うかも。
服装を選ぶのが難しかったです(^^;)
(2部、校長室に入っていったお母さん達、全員フォーマルでした。卒業式出席のお母さん達と同じです。)
学校に着いたら、娘は一人で校舎に入っていきました。
駐車場で見送る姿は、いつもの夕方登校と変わらない。ただ、この日で最後です。
いったい何回これを繰り返しただろう。
保健室登校は一桁だと思う。ほとんどが夕方、夜の登校でした。
同級生がいる時間が無理になったから。
担任は部活の顧問でもあり、部活後の18時過ぎが多かった。
疲れているのに遅くまで対応してくださる先生に本当に申し訳なかったです。
不登校になり初めの頃は、毎日毎日通っていた。
10分の時もあれば1時間以上の時もあった。
帰る時間がわからないから、私は真っ暗な駐車場で待ち続けた。
待っている間に あるゲームをやり続けて、ランクが1000超えちゃった(笑)
車からなかなか降りれない日、そのまま引き返すことも何回もあった。
時間が過ぎる。行けないって泣いてた。
過呼吸のようになった日も。なんでそこまでして来なきゃいけないのかな。
バックミラーでその姿を見て、自分も泣けてきた。
待ってくださった先生にいつも謝っていた。頭を下げていた。
もう自分の方が学校に行きたくない時もあった。
担任の先生は2.3年同じなんです。続けてうけもってくれた。
娘をなんとか学校に戻そうとしてくれた。娘が元気な頃を知っているからね。
3年は仲の良い子を一緒のクラスにしてくれた。
でも、どうしても行けない。先生の期待に応えられなくて余計に苦しむことになった。
だんだん、娘が避けるようになってしまった。
若い男性の先生で友達のように慕っていた先生だったのに、電話にも出なくなり夕方も行けなくなった。
途中からは養護教諭に事情を話して保健室登校にした。
2.3週間に1度、プリントを取りに行くだけになった。
それも行けない時は、私が机の中にぐしゃぐしゃになったプリントを取りに行った。
改めて、担任の先生には申し訳なさと感謝でいっぱいです。
最後の日も同じように車の中で待っていて、今までのことを思い出していましたね。
幼稚園や小学校の卒業式は子どもの成長を喜ぶものだった。
この時の気持ちは違った。
義務教育が終わった。やっと学校から解放されるんだと思った。
そんなことを思っているうちに、卒業式2部が終わりました。
校舎から出てきた娘の表情は明るかった。
担任の希望で一緒に写真を撮っていました。ちょっと娘が嫌がってたけど担任は気にせず。
教室にも連れて行ってくれて、先生が描いた黒板の絵を見せてくれたって。
他の子達も、卒業式の看板の前で、先生と笑顔で話し、写真撮影をしていました。
こんなに明るくて元気な子も不登校だったの?って思いました。
10人弱ですね。3年生で式典に出られなかった不登校の子。
卒業式に参加できた子、ここにも参加できなかった子もいるかもしれない。
学年だけで、もっといたと思う。なんで、こんなに不登校の子が多いんだろう。
どうして居場所がなくなってしまったのだろう。そんなことも思った。
2部ですが無事に参加することができました。
仲の良い友達と写真を撮ったりできなかったことは残念です。
でも、先生に挨拶もできたし、これで良かったと思います。
親子で気持ちの一区切り。これから先のことだけを考えていこうと思いました。
卒業後に気づいたんですが、卒業文集の話はありませんでした。
もともと作成しなかった?いや、あるよね。。
不登校だから気をつかってくれたのかな?
書くのに困っただろうし、まぁ良かったのかな。
娘が友達に聞いたらわかるんだろうけど、我が家で話題となっていないので、わからないままです。
1ヶ月後、通信制高校の入学式には親子で参加できました。
名前を呼ばれて返事もして、写真撮影までできました。
卒業式で体験できなかったことができて嬉しかったです。