不登校とママ友|離れていく縁と新しい縁、支えとなったメッセージ
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子どもが不登校となってから、近所の同級生のお母さん達とは、ほとんど話していません。
思い返すと、PTA委員のくじ引き、体育祭の時に顔を合わせたぐらいです。
中3は誰が同じクラスなのか知らない。卒業アルバムを見て知った。それぐらい疎遠になりました。
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この記事では、不登校になってからのママ友について書いています。
オンラインフリースクールには保護者のサポート、交流できるサービスがあります。
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自然と離れていく縁
もともとママ友グループが苦手です。そんな私にも、仲が良かったママ友は数人いました。
行事など、あえて約束しては行かないけど、学校で会えば自然と一緒にいる。
適度な距離感が良かった。情報をくれたり、困ったときは助けてくれた。
でも、不登校で困っても話しませんでした。聞かれることもありませんでした。
何をどう説明していいのかわからなかった。大丈夫?と聞かれても大丈夫じゃなかったから。
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学校と距離を置いたと同時に、同じ学校のママ友にも距離を置いた。
不登校となった中2からLINEのやりとりは途絶えたままです。
経験者、先輩ママからのアドバイス
自分から話したのは2人だけです。
1人は娘が一緒に通学していた友達のお母さん。
朝、迎えに来てくれても玄関から出られなくなった。事情を話した。
不登校に関して理解がありました。お兄さんが同じように不登校だったから。
適応指導教室に通い復学、全日制高校、大学と進学しました。
その話を聞いた時は希望となりました。当初は娘にも同じように望んでいたから。
明るく励ましてくれました。大丈夫、きっと乗り越えられると言ってくれた。
涙がでるほど嬉しかったです。PTAの委員のくじ引きの時も声をかけてくれた。
適応指導教室の情報も教えてくれた。でも、娘は適応指導教室にも入れなかった。
乗り越えるのではなく、心の療養を優先、学校に行かない選択をした。
欠席連絡、通知表の斜線についても教えてもらいました。
これ、私がダメと言われたことなんですが、担任に前例があること伝えたら変わりました。
同じ中学校のママの情報には助けられました。
お母さんは明るく笑顔で、自立をさせるようになど、いろんなアドバイスをしてくれました。
実際、とても明るくてキラキラしていて眩しかったです。
こうやって安心させないといけないんだと思った。
でも、あの頃、どうしてもそれができなかった。心に余裕がなかった。
感謝はしていても、自分の心がしんどくなっていきました。
そのお兄さんは、学校に行けない以外は元気で外に自由に行ける子だった。
娘は不安障害でひきこもっていった。1つずつ一緒にできることを増やしていくしかなかった。
過保護にうつったかもしれないけれど突き放すことはできなかった。
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先輩ママの話は参考になる。希望をもらえる。
でも、同じ不登校でも状況、段階が違う。あてはめることができないんですよね。
ためになる情報だけインプットする。違うと思ったり、自分が傷つく情報、心に余裕がない時は一度距離を置いていいと思う。
卒業後に、また少し話しました。今でも感謝しています。
SNSのコメント、過去の自分を見ているようで声をかけたくなる。でも、よく書いては消します。とても難しい。受け取り側の状況で変わる。
気持ちに寄り添ってくれる人のメッセージ
もう1人は、小学校の時に付き添い登校をしていた時に優しく声をかけてくれた人。
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あの頃も悩んでいたんですよね。娘を学校に送っていった帰り、多分暗い表情で歩いていたんだと思う。
車で通りかかって、一緒に乗ってく?って声をかけてくれました。
車の中で話を聞いてくれた。とてもいいお母さんなんです。
支援級に通っている子のお母さんで、心の状態、発達面にとても理解があった。
友達に不登校の子が何人もいる、仕事関係でもいるから詳しいと言っていました。
思い出して 久しぶりに自分から連絡をしました。
説明しなくても起立性調節障害のことも詳しかった。
娘が久しぶりに学校に行けた時は一緒に喜んでくれた。
学校に行かない選択をした時は、それでいいと思うと言ってくれた。
発達障がいの話が出てきた時はうちもだからって。
知り合いの不登校だった子ども達が、その後どうなったかを教えてくれました。
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メッセージは今でも大切に保存してあります。
原文のままではないですが少し紹介します。
どの子のお母さんも、声をそろえて言うのは
「不登校になった時には考えられなかった。ちゃんと成長した。」って言います。
元気になった子ども達に共通するのは、子ども達自身が決めたこと。
親はいろんな世界を見せてあげても、最後に決めるのは子ども自身。
無理強いはせず、主体性を持たせること。きっと、動くタイミングがある。
そこまでたどり着くには忍耐と多くの時間がかかる。
勇気を出すタイミングがあって、その時はサポートが必要。
それまで信じて待つしかない。親ができるのはそれぐらい。
急がないこと。今できることを認める。元気で過ごせる場所を増やしていく。
このメッセージをもらったのは2年近く前です。
娘の状態をよく理解し、気持ちに寄り添ったメッセージなんです。
長く険しい現実がわかった。読みながら涙があふれました。
簡単ではないけれど、これしかないと思った。今もこの考え方です。
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今、自分も「不登校になった時には考えられなかった。ちゃんと成長した。」
同じように言えます。まだまだ回復途中だけれど、やっとここまできました。
新しい縁
通信制高校の入学式で知り合ったお母さんとLINEで時々話しています。
久しぶりに心から話せるママ友ができました。
同じ状況で同じ道を選んだ娘さんのお母さん。
子ども同士が仲良くなれたらいいんだけれど、そこは自然に任せました。
スクーリング行けるかな?電車一人で乗れるかな?行事行けるかな?
行けた!って一緒に喜びました。子どもの前では平常心。
その分、LINEでやりとりして一緒に喜びました。
子どもの成長を一緒に喜んだり、心配したり、情報交換したり。
状況が変われば、新しい知り合いができます。
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それまでは、付き合いは最低限。一人でいてもなんとかなると思ってきました。
でも、一人ではどうにもならないことがある。
子どもが不登校となってから変わりましたね。助けてほしかった。気持ちをわかってほしかった。
一緒に悩み、一緒に喜ぶ人の大切さ。理解のある人に助けられながら ここまできました。
当サイトでは不登校を経験した本人、家族、関わった先生方など多くの体験談を募集・紹介しています。
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