小学生の付き添い登校(母子登校)体験談|カウンセリング・通院で復学

付き添い登校
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小学1年生の1学期、入学してすぐですね。

最初に「不登校」を身近に感じたのは この時でした。

この時は、学校に戻れました。そこから、時には躓きましたが、中学2年生の2学期までは通えました。

そら

2020年秋、完全不登校となりました。
当時書いた記事を少し訂正を入れて更新しています。

自治体によっては、登校サポーターがあります。

記事内のリンクは一部広告を含みます

もくじ

先生は違うって言ったけどいじめだよね

この時は登校できなくなった原因がはっきりとしていました。

担任は いじめはないと言ったけれど、いじめがあったんです。

娘が1年生の時、担任との交換ノートをしていました。

やりとりというか娘からの連絡だけですね。

娘は自分から あまり話さない子。

担任は「言えないんだったらノートに書いて渡して」と娘にこのノートを渡しました。

「物がなくなったら書いて」と、めんどくさそうでした。

最初に異変に気づいたのは 入学して しばらくしてから。

「消しゴム落としちゃった。」そんなことを何度も言うようになった。

「誰かにとられたの?」って聞いたら、「違う。落とした」と言う。

買っては持たせた。「物は大切にしなきゃだめだよ」って叱ったこともある。

もっと、ちゃんと聞くべきでしたね。

楽しそうに笑顔で通っているように見えました。

帰宅後も友達と約束しては遊んでいました。

ゴールデンウィークが明けて、ある日 玄関でいつものように「いってらっしゃい」と言っても動かない。

振り返り泣き出した。玄関から行けない。家の中で話しを聞きました。

「貸してって言われて貸した。その後 ゲームだって隠されて探した。でも帰るまでに見つけられないの。」

「いつも二人で一緒にいた子が話しかけても口をきかなくなった。笑いながら逃げちゃうの。」

「もう学校に行きたくないよ。」

腕の傷を見つけたこともあった。

赤く引っかき傷みたいなんだけど 鉛筆で すーっと引かれている。

ミミズ腫れになってる。自分でそんな場所に書けるわけない。

「隣の子が鉛筆を削り 尖った先で試し書きをした」と言った。

担任の対応・交換日記の開始

担任に全部話した。後日の報告は

「物がなくなった件は、他の子達に聞いて探した。出てきた消しゴムは 一度全部預かる。なくなったら取りに来て。買わないで下さい。ノートで連絡してください。」

どれも いじめというより 遊びでふざけていただけ。そんな説明だった。

身体に傷をつけた子からは謝罪。

無視していた子は 入学して慣れない環境で疲れて話したくなかった。

今は仲良くしているから もう問題ないとのこと。

「すべて解決済みです」で終わった。担任はそこまで深刻には捉えていなかった。

学校に行きたくない? 体調不良?

6月に入り、登校前 頻繁にお腹が痛いとトイレから出てこなくなった。

何度もトイレを往復するうちに通学班に間に合わない。

最初は学校に行きたくないからかなと思ったけど、実際に見たら下痢のような便。

仮病ではない。顔が真っ青で痛がっている。

それだけじゃない。頭が痛い。歯が痛い。次々と言う。

歯が痛いと食べないから歯科へ。

歯科では「どこも悪くないけど、嫌なことがあって食いしばるとそうなることもあるかもしれない」と言われました。

寝る前に泣くようになった。なかなか寝ない。

元気がなくなった。子どもから笑顔が消えた。

病院を受診して詳しい検査と結果

近所の内科医は、この時期の一年生 そういうこともある。

ほっとけばいいと薬もなしでした。

安心したけど、体調不良はひどくなる一方。総合病院の小児科を受診しました。

年配の男性の医師が担当でした(この医師が不登校となった今も主治医です。)

優しく これまでの経過を聞いてくれた。

私は深刻だったけど 医師はニコニコして笑っていました。

まず、身体に異常がないか、血液検査、検尿・検便・レントゲンなど一通りしました。

結果は異常なし。精神的なものと診断。心身症ですね。

この医師が「ほっておいたらいかん。心も立派な病気。今のこの子には治療が必要。しばらく通って」と言いました。

私は検査と薬の為に通院したつもりだったから、しばらく?カウンセリング開始?と戸惑いました。

心の病気って、あの頃は なんとなく受け入れていなかったように思います。

【追記】

高校2年となった今も、心身症に悩まされています。

不安障害で、当時よりも症状が次々と出ています。検査結果はやっぱり異常がありません。

胃腸の不調が特に顕著。過敏性腸症候群の薬を飲んでいます。

カウンセリングの必要性

娘が赤ちゃんの頃から、どんな性格の子なのかを判断していました。

娘と私の会話や様子を見て、私にアドバイスをしました。

「まずは お母さんがどっしりと構える。繊細なところは良くもある。伸ばせばいい。ただ慣れるまでに時間がかかる子。躓いたら 少し手助けが必要だね。」

そんな内容を言われました。今に繋がってるんです。

私は躓く前に助けようとした。過保護だった気がします。

サポートと過保護の境界線がわからなくなっていた。

自分でできることにも口出しをしていてたように思います。

そら

たとえできなくても、失敗していいし、たいしたことないんだと。
その経験も大事でした。後から気づくことですね。

発達障がいを疑ったことがあります。甥が自閉症で支援教室に通っていました。

早期療育の大切さもわかっていた。その時にたくさん調べた。

娘にもその傾向があるのか聞いてみた。

この医師は発達外来も担当している。とても詳しい。

「この子は違うな」と言われました。何度かカウンセリングをして、子どもと話した後です。

それまでに相談した先、どこでも言われました。

がんばればできる子です。周りに合わせます。

そう、この頃はそういう診断でした。私だけがもしかしてって思っていた。

特性が強く出てきたのは中学になってからで、この当時はそこまで困っていなかったんです。

【追記】中学3年になり、ウィスクの検査に進みました。

医師に、あの時は・・・って話をした。はっきりとした わかりやすいものではないと言われました。

検査結果では明らかな発達の凹凸もありません。今でもグレーです。

中3~公認心理師のカウンセリングを受けています。

漢方薬が不登校に効く?即効性は?

漢方薬が出されました。初めて、娘が飲んだ漢方薬は小建中湯。

甘くて飲みやすく、4ヶ月ぐらい飲みました。

消化器官の不調、腹痛や神経症、虚弱体質な子供、夜泣きなどにも効く薬だそうす。

そら

これね、起立性調節障害にも効果があり、のちに処方されることとなりました。ただ、その時は効果はありませんでした。

今回提示した症状のほかにも,朝の頭痛やふらつき等の起立性調節障害でも症例報告があり,通学可能となる例がみられる。

引用元:不登校児の腹部症状に桂枝加芍薬湯,小建中湯|Web医事新報|日本医事新報社

最初は漢方薬が不登校に効くの? 子どもに? 即効性あるの?

今困ってるんだよと半信半疑でした。けど、この時はよく効きましたね。

しばらくして腹痛が治まり、よく食べ 寝てくれるようになりました。

子どもの表情が少しずつ明るくなっていった。

なんで夜泣きの頃、赤ちゃんの頃に知らなかったんだろうと思いました。

医者が「お守りのように飲ませて下さい」と。

私は「これ飲んだら大丈夫だよ」って飲ませた。

そら

娘は「お守り」って呼んで学校にも持って行っていました。

カウンセリング・漢方治療が終了するまで

5月から夏休み前までは 親子でカウンセリングを受けつつ 漢方薬を貰いに通院。

娘が「おじいちゃん先生に会いに行く!」って喜んで行っていました。

あの頃は幼くて、カウンセリングにも抵抗がなかった。

学校に行っていたので、途中からは私一人でいいと言われました。

学校での状況などを話しました。私の話を聞きながら、面白い子だねぇと笑っていました。

娘の個性を褒めてもらえて嬉しかったです。

途中からは、娘より 私のカウンセリングをしてくれていましたね。

病院に行った帰りに気持ちが楽になったことを覚えています。

それは今も変わらない。本当にこの医師に助けられています。

「いつまで続ける必要があるのか」聞いたら「2学期の最初に また躓くかもしれない。それをクリアしたらいったん終了でいいよ」と言われました。

2学期が始まり、運動会が終わり 落ち着いた頃、ちゃんと学校に楽しく行けていることを報告して、治療終了となりました。

そら

この経緯があり、娘が中学2年生で体調不良、「学校に行けない」と言った時、この医師を探しました。

そして、7年後に再会することとなりました。

きっと、また学校に戻してくれる。そう思った。

けれど、思春期の不登校は簡単ではありませんでした。

母子登校・付き添い登校についての学校対応

しばらくは親子二人で登校していました。母子登校、付き添い登校ですね。

通学班長に話をし、学校にも了承を取り、しばらく付き添い登校をすることにしました。

担任は「お母さんの好きにしてください。」

養護の先生は「無理しなくてもいいですよ。一緒に来てください。頑張ってるねって抱きしめてあげてください」と言ってくれました。

開き直り、どうせなら 二人で楽しく登校しようと、しりとりをしたり、たくさん話しながら楽しく通った。

じゃんけんして荷物持ちを交代したり。少しでも楽しくしようとした。

けど、門の前で立ち止まることがよくあった。

職員室の前まで一緒に行った。始業ギリギリに飛び込むようにくる担任。

時間がないと話を聞いてもらえなかったですね。

待っている間、校長先生が優しく話を聞いてくれたことも。

校長先生が娘のことを覚えてくれた。

通学路のパトロールをしていて、自宅前にいて娘を励ましてくれたこともあった。

門の所で「頑張ったね」って声をかけてくれ 下駄箱まで一緒についていってくれたり。

休憩時間に遊んでくれたそうです。

そうそう、付き添い登校、案外多かったですよ。

同じような親子と毎日のように出会いました。そのうち挨拶するように。

これは仕事についてアンケートをとった記事ですが、登校の方法についても聞きました。
低学年が多く、50人中10人のママが付き添い登校をしていました。

少しずつ一人で行ける距離を伸ばしていきました。

下駄箱から一人で。学校の門から一人で。本当に少しずつ。

できては褒める。逆戻りした時は、帰り道に少し落ち込みましたけどね。

しばらくして、通学班に復帰しました。

でも一人では不安だと言うので 後ろからついて行っていました。

通学班から振り返った時にわかるように。かなり離れたところにいました。

「いないと不安。でも、みんなにお母さんが近くにいると思われるのも嫌」と言われた。

あの頃から、不安で行けなかったんだよね。

そして、視線を人一倍気にしていました。

他の子達に からかわれないように工夫しました。

おっきな帽子にマスク。服もいつもとは違う格好。今思うと怪しいですね。

まるで忍者のように角に隠れたり。でも当時は必死だった。

そんな後ろからの尾行? も 学校の近くの曲がり角まで、途中の公園まで と距離を伸ばして、最後は玄関で送り出せるようになりました。

まとめ|振り返って思うこと

付き添い登校は甘えとかではなくて、それで学校に行けるのなら付き添えばいいと思います。

いつまで?必要な時期ならずっと。

その後、中学生となり 付き添おうが何しようが行けない時は行けないとわかった。

高校生でも親と一緒に登校、スクーリングの子はいます。

登校の1つの方法です。登校刺激とは少し違うんですよね。

(今は 学校は心と身体を壊してまで行くところではないと思っています。)

もともと繊細な子、不安の大きな子だとわかっていた。

ここから、娘は「みんなと同じ」を頑張ってきたんだと思う。

私は できるようになってきて安心していった。

けれど、人一倍頑張って みんなと合わせていたんだと思う。

そして、中学生となり 限界が来たのかもしれない。

でも、楽しそうに学校生活を送っていたのも事実なんです。

この時は友達がかけよってきたら、輪に嬉しそうに入っていった。

付き添い登校をしながら、娘の学校生活を実際に見ていた。

周りと娘がそんなに違ったかと言うとわかりませんでした。

二次障害が深刻、ひき起こさないように早期療育をという言葉を見ると考える。

確かに深刻です。娘のここまでに関わったのは私だけではなく、多くの人が関わっています。

家庭だけではなく、学校の環境、先生、友達…、複雑に絡み合っています。

時々、私の声かけが変わっていたら、もっとこう接したら。

やっぱり思うけど、自分だけじゃ防げなかった気もするんです。

そら

今までの道から方向転換をする時期がいつかはあったんじゃないかと。
それが大人になる前で良かった。そう思うようにしています。

スクールヘルパー制度について

家庭・地域・学校を結び、学校内の教育活動の補完など、学校教育活動全般に渡って支援をしている。その中でも不登校、不登校傾向の児童生徒への支援、及び集団になじめない児童生徒への支援を中心に行っている。

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