不登校の子の状態|何十年も診察してきた医師が語ったこと、たとえ話

例え話
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子どもの主治医は何十年にわたり、多くの不登校の子ども達を診てきたベテランの医師です。

学校の先生も知っていました。特に年配の先生。きっと卒業生がお世話になってきたんだと思う。

この医師の学校に対する考え方は、元気に成長できる場所であれば通うほうがいい。

そうじゃなきゃ行かなくていい。状況によって復学をサポートしています。

診察を待っている時、制服姿の子も見た。娘が行きたかった進学校の制服の子もいた。

平日の学校に行っている時間帯だから、きっと事情がある子。

ほんとうにたくさんいるんだと思った。

小学校の行き渋っていた時もお世話になり、その時は復学しました。

でも、中学生の時は「学校行かんでええよ」と娘に声をかけていました。

主人も、この医師は信用していた。でも、今回だけは理解できないと言ってましたね。

学校に行ってほしいと思っていて、じゃあ何のために病院いってるんだって。

(今は理解しています。元気になるために病院に行っていること、学校にもこだわってないです)

私も、なかなか理解できない頃、よく質問していました。

説明されても、次の質問で、まだわかってないなと怒られたこともあります(^^;)

そんな時に、よく例え話をしてくれました。

そら

この記事では、医師の例え話も含めて、やりとりを紹介します。

そら

不登校って病気ですか?

起立性調節障害と診断されていて、それは病気だと認識していました。

この病気にも詳しくて、すぐに検査してもらえて投薬治療もしました。

でも、娘の不登校はそれだけが原因ではないと言われた。

だんだんとわからなくってきた。

そら

病気だから学校に行けないんじゃなくて、学校に行けないことが病気?

【医師の話】

不登校自体は病気ではない。学校に行っていない状態。

躓いた。落ち込み、やる気が起きないのはあたりまえ。

大失恋と一緒。そこしか見えない状態で世界が終わったように感じてる。

失恋で病院を受診するかというとそうじゃないよね。

自然に乗り越えられる。時間がかかることもある。

そうじゃない場合もある。病院に行く必要が出てくる場合もある。

病院に来れば診断はする。診断するとしたら、みんな適応障害。

今の学校に適応できなくなった。合わない子が少数だけどいる。

元気だったら問題ない。今の学校がすべてじゃないから。

そら

心身共に健康であれば、学校に行っていなくてもいい。
死にたいとまで思いつめ、不安が強くひきこもっている状態が続いてるのは病的ってことだね。
昔よりも今の学校の方がこういう子が増えたと言っていました。

養護教諭も言っていました。今の学校の枠にはまらない、そういう子もいる。別にはまらなくたっていいんですよって。

来年は受験。中3から復学すれば目指していた進学校に行ける。

中2の2学期までみんなと通えてた。なら、また戻れるのでは。

進路について話していた時に言われたこと。

【医師の話】

あと少しで受験。もう少し頑張ればって思うでしょ。

ここまで長いマラソンを走ってきた。特に立ち止まる前は必死に走った。

それで疲れ切って止まった。もう、走れない。今は無理なんだよ。

脅したって何したって走れない。もう頑張れないんだよ。

そら

別のレールなら走れるのでしょうか?

娘はみんなと同じがいいと言う。だから、元に戻してあげたいと思った。

【医師の話】

今、この子は心に大けがをした状態。まずは回復させる。

ある程度はよくなる。でも、元通りになれるかというと違う。

例えば、ラグビー選手が試合で怪我をした。

回復しても元のようには戻れるかというと難しい。

でも、他に道はたくさんある。他の道なら元気に活躍できる。

その道で一生懸命やってきた本人が受け入れるには時間がかかる。

気づいてないだけで、他にも活躍できる場はある。

娘が診察室にも入れなくて、私一人が医師に相談していた時期に言われたこと。

ウィスクやカウンセリングを受けるきっかけとなった。

【医師の話】

お母さん一人で頑張ろうとするのではなく、周りの専門家の力を借りる。

この子のデータも必要。特性を知ろう。そのために検査をしよう。

これから航海に出る。そのためには船がいる。

安心できる船を作るにはデータがいる。

専門家がデータをもとに船をつくりあげる。

自分の進みたい方向が見えてきたら、安心して航海に出られる。

理解のある人に頼ろう。その方が一人で頑張るより早い。

どれも、あとから考えると同じような意味を持つんだよね。

同じ道ばかりを見て戻そうとしていた私に、もうその道は頑張って疲れて無理なんだよ。

しっかりと回復させて、生きやすい道に進ませてあげようって言ってる。

今の学校は復帰できても、しばらくしてまた行けなくなるって言われた。

まわりを喜ばせるために行こうとしても、また燃料切れとなる。

1週間ぐらいと言われたけど数日だった。本当にその通りになっていった。

コロナの休校明け、一番混んでた。同じ子達がたくさんいたんだよね。

発達障がいグレー。とてもわかりづらいって。診断はついていません。

でも、本人は生きづらさを抱えてきた。なんとかここまで来たけれど限界がきた。二次障害です。

心はボロボロで自己否定感の塊のようになった。不安障害を発症した。

学校に行けないことより、二次障害を引き起こした方が問題なんですよね。

でも、私は学校を中心に考えてばかりでした。

学生生活より社会生活の方が大切。人生は長い。学校は通過点。

今までできていたことだから簡単には受け入れられない。

発達障がいの言葉が出てきて・・けど、でも今まで大丈夫だったのに。

もっと早く療育していれば防げたの?なら自分のせい?

小1の時は発達面では問題ないって言っていたのに。なぜ今って?

たくさんの疑問を次々とぶつけていた。

なんでこうなったの?何がいけなかったの?って、そんな思いでいっぱいだった。

理解しているようで、どこかで、まだ何とかなるんじゃないかと思っていた。

二次障害の深刻さを理解していなかった。

長くかかる。何年単位のこと、覚悟は必要。腹はくくらないといかん。

でも、この子は同じ。学校に行けなくなったからといって変わらないんだよと言われた。

実際、半年、年単位で変化しています。2年経った今わかります。

ものすごく暗くて長いトンネルの中に入ったような気がした。もうこの先がないように思えた。

視野を広げて別の道が見えてくるまでに時間がかかった。

だから、主治医がわかるまで話したんだと思う。

娘がプールや持久走が苦手だったと言えば

俺も苦手だ。あんなもん勘弁してほしいよなー。

泳げなくても困らんよ。ゆっくり走ればいいし。

何が好きだ?何してると楽しい?とか、身体の診察よりも語りかけていました。

できんでもそのままでもいいって言っていました。

黙っていたり、私の方を見ていた子が少しずつ話すようになっていった。

娘がハンドメイド作品を販売するようになって、診察室で並べて見せた。

こんなの誰もができるわけじゃない。才能だ。いっぱい褒めてくれた。

こだわりや繊細さは武器だよ。この調子でいこう。今のままやりなさいって。

娘も喜んでいたし、私も嬉しかった。こんな診察を続けました。

2年間を思い出しながら書きましたが、なんだかまとまりのない文章ですね(^^;)

そら

医師なんだけど、こんな考え方の先生がいたら学校も違うのにね。

環境、周りの人に恵まれたら、そのままうまくいったかもしれないとも言われた。それはこの先もだと。

本人だけの問題じゃなくて、周りも関係あるし、いろいろ難しいね。今でも時々わからなくなる。

でも、なんで?って考えても辛くなるだけだから考えることはやめました。ただ、娘が生きやすい道、笑顔で元気にいられることだけを考えています。

【最後に主治医がよく言っていたこと】

子ども達、自然と来なくなって久しぶりに会うと成長してる。そして、あの時はこうだったんだって話してくれる。何年か先だよ。だから、今聞いても考えてもわからない。俺でもわからん。

死にたいと言った時だけは、生きていてほしいんだと伝えること。それ以外は話半分に聞き流してりゃいい。言ってることが変わる。その時々ほんとに思って言ってる。

心だけはつぶさんでやってくれ。

このアイキャッチ画像を選んだのは、今までの道って電車が走るレールなような気がしました。

甲本ヒロトさんが学校を電車、クラスを車両に例えていました(検索してみてください)

たまたま、そこに乗り合わせただけ。ずっと乗ってるわけじゃない。通過点。

途中下車した子は、のんびりと自分のペースで歩けばいい。

今は、休憩したり寄り道しながら進んでいます。

例え話

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