不登校の子の状態|何十年も診察してきた医師が語ったこと、たとえ話

例え話
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子どもの主治医は何十年にわたり、多くの不登校の子ども達を診てきたベテランの医師です。

学校の先生も知っていました。特に年配の先生。

きっと卒業生がたくさんお世話になってきたんだと思う。

親子2代で診察したこともあるよって言ってましたね。

この医師の学校に対する考え方は、元気に成長できる場所であれば通うほうがいい。

そうじゃなきゃ行かなくていい。状況によって復学をサポートしています。

不登校は自分を守っているということ。

診察を待っている時、制服姿の子たちも見た。

娘が行きたかった進学校の制服の子もいた。

平日の学校に行っている時間帯だから、きっと事情がある子たち。

ほんとうにたくさんいるんだと思った。特にコロナ休校明けは多かった。

小学校の行き渋っていた時もお世話になり、その時は復学しました。

でも、中学生の時は「学校行かんでいいよ」と娘に声をかけていました。

主人も、この医師は信用していた。でも、その時は理解できないと言っていましたね。

まだ学校に行ってほしいと思っていて、じゃあ何のために病院行ってるんだって。

(今は理解しています。元気になるために病院に行っていること、学校にもこだわっていないです)

私も、なかなか理解できない頃、よく質問していましたね。

説明されても、次の質問で、まだわかってないなと怒られたこともあります(^^;)

そんな時に、よく たとえ話をしてくれました。

そら

この記事では、医師の たとえ話も含めて、やりとりを紹介します。ここに記録を残します。

そら

不登校って病気ですか?

起立性調節障害と診断されていて、それは病気だと認識していました。

検査結果で数値として出ました。実際にしんどかったと思います。

この病気にも詳しくて、すぐに検査してもらえて投薬治療もしました。

でも、娘の不登校はそれだけが原因ではないと言われた。

だんだんとわからなくってきました。

そら

病気だから学校に行けないんじゃなくて、学校に行けないことが病気?
不登校って病気なんですか?
いっぱい聞いていましたね。
何が起きたのかわからなかったから。

【医師の話】

不登校自体は病気ではないよ。学校に行っていない状態。

落ち込み、やる気がおきないのはあたりまえ。

大失恋と一緒。そこしか見えない状態で世界が終わったように感じている。

不登校は親も怖いけど、子ども達はもっと怖い。

失恋で病院を受診するかというとそうじゃないよね。

自然に乗り越えられる。時間がかかることもある。

そうじゃない場合もある。心、身体の不調。

病院に行く必要が出てくる場合もある。

病院に来れば診断はするよ。診断名は適応障害。

今の学校に適応できなくなった。それもね、合わない子は少数だけどいる。

元気だったら問題ない。今の学校がすべてじゃないから。

そら

心身共に健康であれば、学校に行っていなくてもいい。
希死念慮、不安が強くひきこもっている状態が続いてるのは病的ってことだね。助けが必要。

昔よりも今の学校の方がこういう子が増えたと言っていました。
養護教諭も言っていました。今の学校の枠に はまらない、そういう子もいる。

でもね、そしたら、どこへ行くの?ってなる。
枠の外に居場所が少ないんだよね。ほうり出されちゃうの。
親は必死で探すことになる。

来年は受験。中3から復学すれば目指していた進学校に行ける。

中2の2学期までみんなと同じように通えていた。なら、また戻れるのでは。

進路について話していた時に言われたこと。

【医師の話】

あと少しで受験。ここまで来たんだ。もう少し頑張ればって思うでしょ。

ずーっと長いマラソンを走ってきた。特に立ち止まる前は必死に走った。

それで疲れ切って止まった。もう、走れない。今は無理なんだよ。

内申点?そんなもんで脅したって何したって走れない。

もう頑張れないんだよ。心を潰さんでくれ。

そら

別のルートなら走れるのでしょうか?
どうしたら、以前の娘に戻れるの?

娘はみんなと同じがいいと言う。だから、元に戻してあげたいと思った。

私だけの押し付け?違う。娘も中3からは行くって。高校はみんなと一緒に行きたいって。

【医師の話】

今、この子は心に大けがをした状態。まずは回復させる。そこからだよ。

ゆっくりと、ある程度はよくなる。でも、元通りになれるかというとちょっと違う。

例えば、ラグビー選手が試合で大怪我をした。

回復しても元のようには戻れるかというと難しい。

でも、他に道はたくさんある。他の道なら元気に活躍できる。

その道で一生懸命やってきた本人が受け入れるには時間がかかる。

気づいていないだけで、他にも活躍できる場所はある。

娘が診察室にも入れなくて、私一人が医師に相談していた時期に言われたこと。

ウィスクやカウンセリングを受けるきっかけとなった。

【医師の話】

お母さん一人で頑張ろうとするのではなく、周りの専門家の力を借りる。

この子のデータも必要。特性を知ろう。そのために検査をしよう。

表現できるようにしよう。カウンセリングをしよう。

いつか航海に出る。そのためには船がいる。

安心できる船を作るにはデータがいる。

専門家がデータをもとに船をつくりあげる。

自分の進みたい方向が見えてきたら安心して航海に出られる。

どれも、あとから考えると同じような意味を持つんだよね。

同じ道ばかりを見て戻そうとしていた私に、もうその道は頑張って疲れて無理なんだよ。

しっかりと回復させて、生きやすい道に進ませてあげようって言ってる。

今の学校は復帰できても、しばらくしてまた行けなくなるって言われた。

まわりを喜ばせるために行こうとしても、また燃料切れとなる。

1週間ぐらいと言われたけど数日だった。本当にその通りになっていった。

発達障害グレー。とてもわかりづらいって。今も診断はついていません。

発達障害が背景になる不登校は別なんですよね。それが理解できなかった。

原因をなくせば行ける。病気、いじめ、解決すれば行けるんでしょって思ってた。

充電して、元気になって…そんな簡単じゃない。

本人は生きづらさを抱えてきた。なんとかここまで来たけれど限界がきた。

二次障害です。心はボロボロで自己否定感の塊のようになった。不安障害を発症した。

学校に行けないことより、二次障害を引き起こした方が問題なんですよね。

でも、私は学校を中心に考えてばかりでした。

学生生活より社会生活の方が大切。人生は長い。学校は通過点です。

学校よりも、生きていくこと、生き抜く力が必要。

今まで できていたことだから簡単には受け入れられない。

できていたと言っても、医師が言うには、人の何倍も頑張らんといけない子。

だから疲れてしまう。頑張ったら できるから周りの理解も難しい。

頑張ったらできるのに頑張れない自分。本人は苦しむ。

発達障害の言葉が出てきて・・けど、でも今まで大丈夫だったのに。

もっと早く療育していれば防げたの?なら自分のせい?

小1の時は発達面では問題ないって言っていたのに。

それまでも何回か聞いたことがある。私が感じてきた違和感。

でも、みんな違うって言ってきたよね。

早期療育が大事。二次障害を防ごうって、いろんなサイトに書いてあって自分を責めた。

なぜ今?たくさんの疑問を次々とぶつけていた。

なんでこうなったの?何がいけなかったの?って、そんな思いでいっぱいだった。

なんで?なんで?なんで?頭の中がいっぱいになった。

思春期だから起きたことでもあるんだよね。

それまではなんとかなった。もうなんともならなくなった。

それでも、どこかで、まだなんとかなるんじゃないかと思っていた。

二次障害、精神疾患の深刻さを理解していなかった。

私が理解するのも時間がかかった。

長くかかる。年単位のこと、覚悟は必要。腹はくくらんといかん。

でも、この子は同じ。学校に行けなくなったからといって変わらないんだよと言われた。

覚悟がほんとにできたのは、娘の部屋でメモを見た時。
(希死念慮、消えたいって心の声がたくさん書かれていた。)

そら

実際、半年、年単位で変化しています。
3年経った今わかります。
充電して動き出して、また躓いて…成長はしているんです。
ただね、その成長とともに新しい課題も出てくる。
一筋縄ではいかない。

ものすごく暗くて長いトンネルの中に入ったような気がした。

もうこの先がないように思えた。

視野を広げて別の道が見えてくるまでに時間がかかった。

だから、主治医がわかるまで話したんだと思う。

以前の小1の付き添い登校からの復学の時とは今回は違うんだと。

前回、復学できた。また、この医師なら戻してくれる。

同じように望んだ私に、いくつも例え話をした。

娘がプールや持久走が苦手だったと言えば、俺も苦手だ。

あんなもん勘弁してほしいよなー。

泳げなくても困らんよ。ゆっくり走ればいいし。

何が好きだ?何してると楽しい?とか、

身体の診察よりも笑顔で語りかけていました。

できんでもそのままでもいい、まずは楽しいことをやってみようって言っていました。

診察室にも入れず、入っても黙っていたり、私の方ばかり見ていた子が、少しずつ医師と話すようになっていった。

カウンセリングに自分から行くようになった。

そして、ひきこもり中に好きなことを見つけました。

あるハンドメイドに夢中になったんですね。

不器用だとずっと思っていたわが子、実は超器用だったんです。

作品を販売するようになって、私が写真を見せた。

その後、現物を医師やカウンセラーさんにも見せるようになった。

医師は、こんなの誰もができるわけじゃない。

才能だよ。いっぱいいっぱい褒めてくれた。

こだわりや繊細さは武器だよ。今のままやりなさいって。

そして、1年後…

娘のハンドメイドはオーダーが続く人気(何ヶ月も待ち)となり、月間売上が母の在宅ワーク収入を抜きました。

そら

医師なんだけど、こんな考え方の先生がいたら学校も違うのにね。

環境、周りの人に恵まれたら、そのままうまくいったかもしれない。それはこの先もだと。出会いって大きい。

もともと生まれ持ったものがあり、不登校はこの子なりに、生き抜くため自分を守ったんだよ。必要な方向転換。

親は守るよという気持ち、覚悟でいれば、それは子どもにいつか伝わると言われました。


本人だけの問題じゃなくて、周りも関係あるし、いろいろ難しいね。今でも時々わからなくなる。

なんで?って考えだすとやっぱりわからない。答えは子ども自身の中にしかない。

いろいろ書いていますが、正解はわからないんです。ずっと試行錯誤。

ただ、娘が笑顔で元気にいられることだけを考えています。
そして、自分自身も。今できることを大切に生きています。

このアイキャッチ画像を選んだのは、今までの道って電車が走るレールなような気がしました。

甲本ヒロトさんが学校を電車、クラスを車両に例えていました(検索してみてください)

たまたま、そこに乗り合わせただけ。ずっと乗ってるわけじゃない。通過点。

途中下車した子は、のんびりと自分のペースで歩けばいい。

今は、休憩したり寄り道しながら進んでいます。

この記事、娘にあてはまります

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