不登校から通信制、サポート校へ、その後大学、専門学校へ進学した体験談
実際に経験した、ご本人やご家族のお話を、内容ごとに分けて少しずつ掲載していきます。
娘が中3で進路が決まらない頃、どうしようもなく不安でした。状況を説明し、参考にしたい、希望がほしいと募集した体験談です。
この記事では、 不登校の経験をして通信制高校に進み、その後に大学や短大、専門学校に進学された体験談を紹介しています。
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中学2年生の頃から休みがちになり、3年生の頃には完全に不登校となりました。
時々、他の生徒が帰った放課後に教室で担任と面談したが、登校する事は出来ず卒業式にも参加できませんでした。
高校は通信制高校の全日型に進学しました。クラスメイトには、不登校だった子や、学校生活において苦手な事が多い子がほとんどのため、学校や先生方の理解や手厚いサポートがありました。
時々休むことはありましたが、基本は毎日登校し、遠足や修学旅行などの行事にも参加する事ができました。
勉強については、普通の高校よりもやさしく、テストがないかわりにレポートを提出することとなっていたため、学力は低かったです。
しかし、中学時代 ほとんど家から出ることなく、同級生に会うのが怖かった時と比べると、毎日学校へ通い、放課後にアルバイトをしたり、友達と遊んだりして過ごすということは信じられない変化でした。
高校を卒業し、自己推薦で大学に入学しました。学力に不安はありましたが、大学は専門的な授業がほとんどであり、入学後の努力次第でなんとかなりました。
大学の勉強は楽しく、また、サークルに入り仲間にも恵まれ、楽しい大学生活を送ることができました。
妹の子ども(男の子)が小学校4年生から中学3年生まで不登校でした。学校に行かなくなった原因は友達関係のトラブルからだったようです。
家では家族と普通に過ごしており、自分の家で建築関係の会社をやっていることもあって、会社の社員の人とは普通に接していてその家族に遊びにつれて行ってもらったり、簡単な仕事の手伝いをしたりしていました。
そのまま家の仕事に就けばいいかとも思っていたようですが、学力はともかく、高校は卒業しておいた方が良いのではないかということ、同世代の人と接したり、少しストレスのある人間関係も経験した方が良いのではないかという考えで、本人も納得の上で中学卒業後は通信制高校のサポート校に入学しました。
いくつかの学校を見学しましたが、学校らしい雰囲気は薄かったものの、一番に個々の生徒の成長を考えて対応していただける雰囲気が気に入ったようです。
高校では1対1で先生がついて卒業に必要な勉強のサポートを受けていました。小学校の勉強からのスタートですが、勉強自体は嫌いではないのでスムーズに進められたようです。
初めは少し人見知りしていたようですが、まずは教室長やスタッフの方とすぐになじみ、自然な形で同年代の友達もできていったようです。
同じように不登校を経験した子どもも多く、いろんな人がいることを感じながら、3年間を通して成長できたかなと感じています。
入学したての頃は週2回程度の登校でしたが、半年もすると毎日通うようになりました。勉強以外にもいろいろな企画があって、時々は自分たちで企画してイベントを行うこともあり、学校生活が楽しそうでした。
高校卒業後は、環境問題について学びたいという本人の意思を尊重して専門学校に進学し、今は元気に学校へ通っています。
昔は不登校というと暗いイメージしかありませんでしたが、こういう道もあるということの大切さを実感しています。
中学時代に不登校をしていた時期があります。
高校受験は絶望的な状況でしたが、就職する決心はつかず、担任と進路の相談を重ねた結果、単位制でありスクーリングに通う県立の通信制高校があることを知り、そこへ進学する事にしました。
当時は、まだ授業料無償化も無い時期でしたが、その学校は年間10万ちょっとで通えてしまう程学費が安く、まともに学校へ通えるか微妙であった自分にはぴったりの学校でした。
スクーリングは土曜日を除き、全ての曜日で行われており、クラスという概念もありました。1クラス40名程度であり、卒業までの3年間は同じクラスで過ごすというシステムでした。
クラスメイトには学年、年齢問わずの人たちが存在している珍しい仕組みでした。
授業に出ることも、最低限の出席日数を超えていればレポートの提出だけで単位が貰えてしまうので、気分で学校に行ったり、自宅で勉強したりと選択できる自由さのお陰で無事に卒業できました。
レポートの提出を期限内に済ますだけで推薦も貰え、大学への進学も出来たので個人的には通信制の学校を選んで正解だったと思っています。
子どもが中学生の時に、半年間不登校になってしまい、学校に行けなくなってしまいました。その時は、原因がわからずに大変困りました。
1学年300人程度の中学校でしたが、毎年10人程度の不登校生が出ていました。そのため、先生自身はあわてられなかったので、親としては妙に不安な気持ちになるということはありませんでした。
私の子どもは、特に周りにいじめられたというわけではなかったらしく、安心は当時からしていました。しかし、子どもが不登校になると、親と子どもで形成している家庭という集合体は、陰気な雰囲気になりました。
不登校の原因も解決したのか、しないのかはっきりしないまま、受験の時期を迎えて、地元の通信制高校に進学することになりました。
成績の良い生徒で不登校気味の子どもは、地元ではその進学校に行く子が多かったので、そこに自然と進学することになりました。
この学校は全国展開していて、子どもはキャンパス校に通っておりました。ここの学校は、全員が皆同じということを決して強要せず、個人個人の違いを認めてくれる教育方針でした。
その教育方針に、うちの子どもは、すっぽりとはまり込んだので、不登校ということにはならず、高校も病気以外はすべて出席して無事に卒業することができました。
進学は一浪してから、地元の有名大学に進むことになりました。
私は中学校3年生の時から不登校になりました。高校に行くのも怖かったので、通信制高校に行くことにしました。
きっと、年齢もまちまちで、学校という雰囲気ではないのではないかと思ったからです。そして一緒にサポート校に通うことにしました。
サポート校は、結構狭くて教室は全部で3つで、教師の部屋などがありました。途中から ちょっと離れたところにもう一つ学校ができて、行き来するのは結構自由でした。好きなところでお昼ご飯を食べていました。
通信制高校は正直、私と同じぐらいの年齢の人ばかりでした。サポート校の子たちと一緒に行っていたので、結構学校という雰囲気が強かったです。もっと年配の人などもいるのかな?と思っていたのですが、あまりいなかったです。
サポート校は一つの教室にだいたい15人ぐらいでした。結構先生もしっかりとしていましたし、ちゃんと勉強を教えてくれている感じがしました。
制服もありましたし、私はそれがとてもうれしかったです。みんなで制服着て、プリクラを撮りにいったことなどいい思い出です。
サポート校のおかげで留年などはすることなく、無事に高校を卒業できました。それから、手に職をつけたいと思い、ネイルサロンの専門学校にいきました。
そして、その後ネイリストを経て、アパレル、化粧品販売などの仕事もしています。
中学生の時に不登校になりました。
はじめのうちは3日休んで行ったりもしていたのですが、二年生の時に友達だった子達にハブられてしまって、一人でいるのが耐えられなくなり、それまで仲良くしてくれていた男友達までも離れていって、耐えられずに不登校になりました。
久しぶりに学校に行って頑張ったのに男子に「おい!あいつ学校来てるよ!(笑)」みたいに言われたのが最後のとどめでしたね。
担任の先生が数学の先生だったので放課後、先生が数学を教えてくれていたのですが、私は元々数学も嫌いだったので数回で行くのもやめてしまいました。
そのころになると蕁麻疹も全身にできてしまっていて、精神的にも限界でした。
高校は通信制のサポート校に通いました。とりあえず高校は卒業しないと将来困ると思ったので、そこはがんばりました。
サポート校でもそんなにいい事はありませんでしたね。楽しくもつまらなくもありませんでした。
そこではそんなにいじめもなかったですが、最終的にはサポート校は通わなくなりました。通信高校の単位はとりあえず取って卒業しました。
それから、私はメイクやネイルが好きだったので、ネイルの専門学校に行ってネイリストになりました。でも、いじめの後遺症か仕事の人間関係は苦痛を感じることがあります
私が不登校になったきっかけは、小学校高学年のころから起立性調節障害の症状があり、中学2年生のころ症状の悪化に伴い学校に通えなくなりました。
当時、通院をしながら適応指導教室への通学を希望したのですがなかなか許可がおりず、結局 個人経営の塾で勉強を進めることになりました。
進学はサポート校のある通信制高校を選びました。面談と作文のみの受験でしたので不安だった学力の面はクリアできました。
進学後は、レベル別授業で得意な数学は1年生の時から受験コースを受けさせてもらえました。苦手だった英語は中学校の復習クラスに参加しており、科目ごとにレベルを選べることがとてもよかったです。
たくさんの資格試験に挑戦する機会があり在学中に取得した資格は履歴書にびっしりと書けるレベルです。その後 通信制大学に進学しました。
通信制高校でレポートなどのタスク管理が身についていたため大学でもあまり困ることはありませんでした。今は通信制大学に通いながら在宅ワークの基盤を築き、自分の体調を最優先できる環境を整えています。
中学生3年生のときに不登校になりました。とても辛かったです。高校に行くのはとても迷ったのですが、高校ぐらいは卒業しておかないと就職の道が狭くなってしまうという親のアドバイスのもと私は通信制高校に進学することにしました。
しかし、通信高校だけだと不安をかんじたのでサポート校にも通うことにしたんです。
しかし、サポート高校でも馴染むことができずに、サポート高の保健室のような先生の部屋で過ごすことが多かったです。
やはり一回いじめられたすると、心が回復するのには時間がかかってしまいます。
しかし、それからは結構頑張りまして、高校を卒業後、ネイルの学校に通いネイリストになって都内のネイルサロンで働いたり、アパレルの仕事をしたり、海外に留学したりと結構アクティブに動きました。
社会人になると自由になれたのが嬉しかったんです。学校でうまくいかなかった反動なのでしょう。いろんな経験をしました。
現在は1人の男の子を育てるママとなりました。なんとかなるものです。
不登校の子が多く通う、サポートのある個別指導の高校と書かれていたので、こちらに分類しました。
(下記2件の体験談です)
最近はサポート校という呼び名が知られていますが、通称で私立の個別学習塾のような高校と言われていたので、サポート校のことかなと思いました。
高校生の息子が、一時期不登校の状態になりました。人間関係のトラブルをきっかけに、学習面でもなかなかついて行くことができず不登校になってしまったのが大きな要因でした。
最初のうちは、所属している高校の適応教室に通っていたのですが、ここに通うのもなかなか辛いような状況になりました。やはり、不登校の子どもにとってみると、学校に行くことそのものが苦痛になってしまうようです。
そこで、入学をした高校に紹介をしてもらって、不登校の子が多く通う高校のほうに転校をさせてもらいました。
最初のうちは、高校が変わることによって、この先の進路などが心配になりましたが、現在通っている高校のサポートを受けることができると言うことで、安心して親は送り出しました。
不登校の子が多く集まる学校に行くようになると、大きく環境が変わったことが影響したのか、これまで通り学校に行くことができるようになりました。
また、通常の高校の授業のように大人数の授業ではなく、マンツーマンに個別指導をしてもらうことができたので、学力の補充もすることができ、最終的には無事に高校卒業することができました。
大学にも進学することができたので、親としては良い判断をすることができたと思っています。
私は、中学時代にいじめにあい不登校になりました。しかしながら、勉強は嫌いではなかったため、自主学習と家庭教師の方とともに、自分なりに勉強面では 真面目に取り組みました。
そんな私が進学先に選んだ高校は、私立の不登校の生徒を受け入れ、学びをサポートするクラスのある学校でした。
基本的には自主学習ですが、そのクラスにも担当の先生がきちんといらっしゃり、その他の教科の先生方も分からないところを空いている時間に見てくださるなどのサポート体制が整っていました。そのため、一般の生徒との学びの格差を少なくすることができたように思います。
また、大学進学を決意してからは、より学習に身が入り、さらには先生方のサポートもより手厚くなり、無事に志望大学に合格することができました。
今振り返っても、高校時代の手厚いサポート体制がなければ大学進学は難しかったと思いますし、今の私はいなかったと思います。
さまざまなハンディを抱えながらも、そのなかでできることを精一杯行えば、不可能が可能になる可能性があることを私は身をもって実感しました。
そのことにより、粘り強く頑張りつつ、決して無理をしないと言うバランスの良い生き方ができるようになりました。
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他にも不登校を経験したご本人、ご家族、また、先生など関係者の方々の体験談を多く紹介しています。