体験談|不登校のきっかけ、原因の1つが先生、学校の対応、不信感
良い先生によって復学できた体験談もありましたが、その逆の場合もあります。
先生(教員)の言葉、叱責がトラウマとなり学校に行けなくなった子。
また、直接ではないにしろ、対応によって不信感をもって行けなくなった子もいます。
募集した体験談の中から、学校側、先生がきっかけで不登校となった体験談をピックアップしました。
上記の記事でも書きましたが、学校側の調査では先生が原因は少ないんです。
すずらんさんのブログに体験談が書かれていて 共感したので紹介します。
うちの娘も同じような話をしていました。
小学生の頃の話を、私が初めて聞いたのは高2なんです。
子どもによっては、話すことができるようになるのが何年か先の場合もあります。
なので、調査しても件数にあがってこない例も多いと思います。
こちらの記事は先生側の体験談です
私自身が不登校の経験があります。中学生の頃です。
いつも仲の良い女子6人でグループになっていました。
ある日、登校するとそのグループのうちの1人にひとけのない廊下に連れていかれました。
そしていきなり腹部を殴られました。
女の子のパンチなので怪我にはなりませんでしたが、私は驚いて泣きました。
その友達も泣いていました。
通りかかった先生が異変に気づいて友達の肩を支えて他の先生を呼びに行きました。
私は立ち尽くしていました。その後、保健室の先生が来て相談室へ連れていかれました。
その先生が聞いた話によると、その友達の机に連日変な手紙が入っていて、その字体が私の字にそっくりだったようです。
なのでムカついて殴ったと。
その手紙には、死ね、消えろ、ブスなど定番の悪口がズラズラと書いてあったようです。
私は身に覚えがなくて、濡れ衣を着せられ殴られただけと言っても先生は聞く耳を持たず、私を犯人だと決めつけました。
胃が痛いですと先生に言うと、殴られたんだから痛いのは当たり前、あの子の方が傷ついていると言われました。
それから教室に行くとクラス全員から冷たい視線を向けられそのまま1日を過ごしました。
下校するとき、明日から休もう登校できないと決めて帰りました。
家に帰ると母が心配そうに待っていました。
学校から連絡があったようです。
私はありのままを話しました。
母は私を信じてくれ、そんな学校行かなくていいと言ってくれました。
翌日から私は学校を休みました。
両親は休むことには何も言いませんでしたが、規則正しく生活すること、勉強に遅れがでないことを約束させられました。
学校を休んでいる間はもともと通っていた個人塾にお願いして、他の友達と会わないように時間を組んでもらい通いました。
保健室に登校するように学校から電話が何度もありましたが友達と会ってしまうリスクがあるので行けませんでした。
先生が週に一度様子を見に来てくれましたが不信感しかなく早く帰れと思っていました。
結局、卒業式まで不登校でした。卒業式にも出られず保健室で卒業証書をもらいました。
15年ほどたって思い返すと本当にくだらないことで学校生活が無駄になってしまったなと思います。
両親が、中学生になってもこんなに家にいてくれるなんて嬉しいと、本心はわかりませんがそう言ってくれたことが救いでした。
甥っ子の話になります。小学校2年生の時に数ヶ月ほど不登校となりました。
今は4年生になりましたが、不安定なときはあるものの毎日学校に行けています。
思い当たることは冬休みの宿題であった書き初めです。
お題の他に学年と名前を書けば良かったのですが、甥っ子は小学校名も書いてしまったとのことで3学期早々に、やり直しと先生から言われたそうです。
甥っ子の他にも同じ間違いをした子がいたのですが、なぜか甥っ子だけがやり直しと言われたそう。
その後、役員をしているママ友達が学校に行く用事があったとのことで張り出されているみんなの書き初めを見たそうなのですが、確かに何人かは小学校名を書いたまま張り出されていたそうです。
甥っ子はおしゃべりで明るい性格なのですが、敏感な面もある子でした。
2年生なので、先生とどういうやり取りがあったのかもはっきりと私や母に伝えることが出来ず、私達もどうしていいのか分からない状態でした。
思い返せば、甥っ子はどちらかというと先生からあまり好かれてはいなかったのかな?と思う節はいくつかありました。
僕だけ怒られた、と言われたとか言っているときがありました。
でも、どこまで甥っ子を信じていいのかわからず、先生に問い合わせたりすることができませんでした。
これがいけなかったのかなといまでは思います。
先生がそんなこと言うはずないでしょ、と私達は思ってしまっていたのです。
こんなことがあり3学期が始まって1週間ほどで学校に行きたくないと言い出したのです。
先生に電話して相談しましたが、友達とはうまくいっていたし、思い当たることはないので様子を見ましょうの繰り返しでした。
書き初めのことも、修正していない子はそのうち習字の時間にやり直しをさせるつもりだというあまり腑に落ちない理由を言っていました。
学校には行ったり、早退してきたり、遅刻したりの毎日でした。
そうしているうちに4月になり進級し、先生も替わることになったので、少しずつ学校に行くようになりました。
私を始め、祖父祖母、妹(甥っ子の母)とみんな辛い毎日でした。
どうしていいのかわからず、田舎でなんとなく先生や学校には逆らってはいけないというような土地なこともあり、なかなか他に相談できる場所もなく、暗闇の中でした。
今でもいつまた学校に行きたくないと言い出すんじゃないかとひやひやしてしまうところがあります。
子どもが不登校となってしばらくして、嫌な記憶が一気によみがえり、話をしてくれたことがあります。
小学6年生のある教科担当の先生。先生の名前も言いましたが、私は記憶にない先生でした。
子どもは本当に嫌なことは話さない。だから親は気づかない。
話によると、5回も呼びつけられて叱られた。
先生の話が終わって戻ろうとしても、まだ話が終わってないと何度も呼び戻された。
何もしてない、なぜ怒られているのかわからない。
そのことを伝えたら言い返すなと怒られた。だから、ただ黙って聞いていた。
みんなの前だった。泣いたけれど誰も何も言ってくれなかった。
みんな知っていたのに、自分じゃないのに言ってくれなかった。
授業が終わって担任が戻ってきた。
泣いていても気にせず、何事もなかったように次の授業を始めた。
当時の担任は良い先生だと思っていたけど、子どもにとっては違ったんですね。
私がそう言っていたから話せなかったのかもしれない。
全然わかってなかったと思いました。
この先生の存在によって、先生に対して自分の意見が言えなくなった。
先生は絶対に言い返してはいけない存在になった。
先生が怒鳴るのが怖い。自分にじゃなくても聞いているだけで怖い。
みんなの前で叱責されたこと、その時の視線が忘れられない。
子どもの心に大きな傷を残したようです。
また、自分のノートをうつした子の方を評価を上げた。
本当は逆なのに、要領がいい子、好かれている子だけが評価される。
言ったって信用してもらえないと言っていました。
10年以上も前のことです。子どもが小学生の時に不登校になりました。
原因は担任の先生が怖いという理由でした。
まず、旦那に話しましたが理解をえられませんでした。
毎日泣きながら学校へ行く我が子。心が張り裂ける思いと、旦那への怒りがおさまりませんでした。
そのころ、ほとんど口をきかなかったと思います。
自分なりにリサーチし、旦那に理解がない不登校の親が多いことをその時知りました。
たまたまだったのですが、自分の子どもと私を含め校長先生と仲良い関係でした。
それで本来なら担任にいくのですが、それをすっ飛ばし、校長に子どもに今の思いを手紙に託し渡しました。
そして、当時は進研ゼミを受講していたので、それをきちんとやるという条件・そして本当はよくないのですが校長から休んでもよいと許可をもらっていると言い、旦那を納得させました。
校長と私と子ども、当時はスマホもなかったのでお互いに電話で話し、行けそうなときは行く。
最初は、1時間だけ。午前中だけという感じで慣れていき、次第に行けるようになりました。
それも校長が常に、授業の様子をうかがってくれていたからです。
あと、校長は地域の教育関連とつながりがり、地域の不登校相談センター等を紹介してくれました。
そこで話すことで、情報を得られる時もありました。
勉強ならどこでもできます。学校は、人間関係の在り方を学ぶ場所だと考えます。
人間関係で子どもが疲れたら、休ませるべきだと思います。
中学校の時に、先生とのトラブルから不登校になってしまいました。
その後に、担任の先生からの謝罪やスクールカウンセリングをすすめられて、カウンセリングを受けるようになりました。
カウンセリングでは、最初は話をするだけでしたが、しばらくしてカウンセリングの先生から部活動だけという提案を受けました。
学校への登校の仕方を得て、また、友達の支えのおかげで、学校にまた通えるようになりました。
カウンセリングを受けたことで、自分の思いを吐き出すことが出来たことが 子どもにとっては良かったと思います。
それ以降は、カウンセリングも受けることなく学校へ行けるようになって行きました。
中学校1年の時の出来事で、1年の時にはかなり休んでしまいましたが、その間も通信教育で勉強に関しては本人も一生懸命していたので、学校に戻った時に勉強面での遅れはなく済みました。
そのおかげで、高校への進学は本人の希望していた進学校に進学をすることができました。
ただ、合格をするまでは、中学1年の時に不登校になってしまったということがあったので、高校受験に関係する内申書が悪く書かれてしまうのではないかという心配がありました。
その内申書のことだけが、進学には心配でしたが無事に合格することができました。
不登校になったきっかけは、当時の担任への恐怖と叱責によるクラスメイトの前で叱られた恥ずかしさによる体調の異変でした。
スクールカウンセラーのカウンセリングは受けていました。
通院はしておらず、以前から通っていた東洋医学の整体師の先生の所へは通っていました。(自律神経が乱れまくったため)
はっきりした起立性調節障害の症状は無かったのですが毎朝、お腹が痛いとか吐き気がするとは言ってました。
その担任は、厳しすぎて他の保護者や他の学年の上級生(お手伝いに来てくれた子達)からも指摘が入っていました。
校長や教育委員会で最終的に問題になったのですが、スクールカウンセラーからも匿名でお願いして注意してもらった事もあります。
子どものためにも担任に対して思う事は沢山ありましたが、表面上は協力体制を築いて、低姿勢で毎日連絡を取り合っていました。
学校に行かせる場合は、私の付き添いが必要だったのでその際に担任とお話しする事が多かったです。
どうしてもクラスに入れない時は、保健室登校もしましたが、基本的に学校へ行くことが出来ればクラスに入ることは出来ました。
休んでいる時は、まだ低学年で元々上の子の勉強をみて先取り学習をしていたので、タブレット学習で少し勉強するだけで遅れを取ることはありませんでした。
祖父母には、特に話すことなく夫婦間で問題解決に向けて話し合っていたので、外野から言われる事はありませんでした。
ただ、実質母である私が1人で悩みを抱え込む状態になったので頼れる人がいればもう少し頼れば良かったと思いました。
周りが敵ばかりに見えていて誰にも言えずに殻に閉じこもっていたので、どんどん体調が悪くなっていました。
時間はかかりましたが、担任が改善された事とあることで子どもに自信がつき始めて登校できるようになりました。
息子が中学生のとき、ごく短期間ではありますが不登校になりました。
朝、なかなか起きられず、起きても胃のあたりがむかむかしたり、ときどき痛かったりと、おなかの調子が悪いことが多かったです。
当時はなぜこうなるのかよくわからず、内科に行ってみてもらいました。
おなかの具合が悪いのは、胃腸にガスがたまりやすく、胃腸が弱いからだろうということだったので、学校には無理には行かせませんでした。
その後1ヶ月くらいの間、学校に行ったり、休んだり、あるいは遅刻していったりということが続きました。
そうして、そのうち病院で処方された薬が効いたのか、何がきっかけだったのかはわかりませんが、自然と普通に起きて登校できるようになりました。
その後、息子は一応無事に卒業したのですが、卒業してから「実はあのときは・・・」と話をしてくれました。
不登校になった直前、息子は部活の顧問からひどく叱責されたそうです。
理由は、その日 大事な全体練習があったのに、部活の時間に大幅に遅れてやってきたからです。
ですが、息子はクラスでしなければならない用事があり、担任の先生から顧問の先生にそのことを伝えてくれるようちゃんと頼んでありました。それを担任の先生が忘れたのです。
また、あとから同じ部の子のお母さんに聞いたところ「先生の怒り方が激しくて、あんなにされたら誰でもへこむとうちの子は言っていた」と言われました。
私は当時息子がどんな気持ちだったか気づいてやれず申し訳ないと思いました。
幼稚園の時から登園しぶりはあり、難しい性格だとは思っていました。
学校に入学する時も入学式では親から離れず学校が始まってからも1人で登校する事に恐怖を覚えるようでした。
きっかけは、担任に誰かが叱られたのを見たのと体育の時間に皆に笑われたのが恐怖感に変わったという事でした。
2ヶ月ほど教室に親も付き添いしていましたが、体育の時間など逃亡する事もあり精神的にも不安定になっていきました。
理由は、教室の中での刺激がつらいという事でしたがはっきりしたことはわかりません。
行事には参加したこともありますが、特に運動会はほとんどのものに参加できず癇癪も起こしたりして、自分自身が泣きたくなることもありました。
先が見えず他の兄弟にも影響が出てきてしまったので思い切って嫌がる学校を休ませることにしました。
毎朝の学校への欠席連絡が非常にストレスになってしまい、担任とスクールカウンセラーの先生と話し合ってなしにしてもらった事ですごく気が楽になりました。
午前中は、学校の課題やドリルをやって、たまに昼寝したり、YouTubeを観ています。夕方調子がいい時は外に出て公園で遊んだりはしていました。
発達障がいに関しては、グレーゾーンとの診断を受けていますが、親から見るとはっきりした症状が現れているなと思います。
学校に行かなくなってから1年以上経って、フリースクールを調べて何か所か見学に行きましたがどうも息子には合わないようで、そちらも諦めて自宅学習をしている状態です。
幸い、私の仕事も在宅勤務になったので何とか対応できています。
私の高校時代の不登校体験談について書かせていただきます。
私は特に学校でのトラブルはなく 友達、先輩、先生と仲良く学校生活を送っていました。
しかしある日、進路希望の提出で、先生にこんなことを言われました。「お前にこの仕事は無理だ、もっと現実を見なさい。」
私が提出した内容は、当時人気だったユーチューバーでした。
今思えば、エンターテイナーとしての実力や実績のない私では難しい職種でした。
それでも、信頼していた先生には「お前ならできる、挑戦してみろ」この言葉をもらいたかったのです。
ユーチューバー以外に特に夢もなく、両親を安心させるためにも進学を決意。
しかし、ここでも先生からは、「何の勉強をしたいんだ?とりあえずだけの進学はだめだ。」
さらに、先生がこの話をいろんなところで話したらしく、クラスメイトにもユーチューバーの話がバレてしまい、毎日のように馬鹿にされました。
この時にポキッと心が折れてしまいました。
学校に行くことが辛くなってしまい、週1回ほどの登校。登校できたとしても、夢の話を毎日持ち出され、部活の先輩にまで広がっていました。
結局、高校3年生の夏休みまで、不登校になっていました。
夏休みが終わり、なんとなく登校してみると、夢の話題に飽きたのか 何もなかったかのように話しかけてくるクラスメイトにいら立ちを感じながらも少しほっとしました。
そして、そのまま登校をし続け卒業しました。
それでもあの時の心の傷は癒えていません。
あれからはっきりと物事を言えなくなってしまいました。
大人になった今、相手の発言は必ず肯定から入るようにしています。
私のような被害者が現れないことを強く願います。
いじめが原因で中学生の時に不登校を経験しました。
学校そのものにも問題はありましたし、両親に相談しても、真剣に取り組んでくれず、味方がいないなかで学校に行きたくありませんでした。
少し前の生徒はヤンキーが多かったというか少し荒れていたように思いますが、我々の年代から部活動をほぼ強制的にやらせる事で非行に走らせないという対策をしていました。
そこで様々ないじめがあっても、いじめよりも非行をさせないという学校の体質だったのではないかと今になって思います。
その結果、陰湿ないじめが横行し、先生はそれを知りながらも止めようと対策もしていませんでした。
気の弱い生徒によってたかっては集団でいじめをすることが横行していたのに、特に1年の先生は全く無関心というか、自己責任とまで考えていたのではないだろうかと思えました。
田舎ということもあって、学校を変えるわけにもいかず、母の都合で引っ越してきたはずなのに、私のせいにする始末でした。
学校では、味方が誰もいないという環境におかれていました。
下記は直接 先生がきっかけではないのですが、活発で運動ができる子でも繊細な子もいるってことですよね。一度の経験がその後、長く苦しむことになる場合もあります。
自分が不登校になったのは、小学生高学年の時でした。
今思えば不登校にはならないだろうと他人事のように思っていました。
しかし、自分の中では本当に些細なことで少しづつ学校に居づらくなっていました。
どちらかと言うと活発なタイプだったのですが、気にしなければならない部分が人よりも多く、気持ちをすり減らして人と接していました。
体育など運動の時間も、みんなより出来るタイプだったので、先生からの指示で模範となるのはいつも自分でした。
問題が起きたのはその模範になっている時で、極度の緊張から失敗してしまったのです。
周りから失敗したと笑いながら言われているような気になってしまい、一気に精神的にきつくなってしまいました。
その日は体調が悪くり早退してしまうくらいでした。
それから、他人の目を自分が勝手に想像を膨らましてしまい苦しむことになりました。
こちらの体験談の中にも、原因が先生、学校の体験談が含まれています。
この逆に、先生がきっかけで復学できた体験談です。
他にも不登校を経験したご本人、ご家族、また、先生など関係者の方々の体験談を多く紹介しています(当サイトで募集しました)