中3不登校からの進路|全日制高校から通信制高校に切り替えるまで

高校受験
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うちの娘の場合、中3の12月初めまで、進路の話ができず、高校の説明会に1つも参加していない状況でした。

12月は公立高校以外の学校(私立高校・専修学校・国立高校・高等専門学校)の受験校を決定しないといけません。

具体的な志望校が決定する時期ですね。

オール1、完全不登校で出席日数がない娘には全日制公立の選択肢はなかった。

もう不安しかない。不安。不安。不安。極限状態でしたね。

親がこの状態って不安障害の娘にいいわけがない。

わかっているけど、もうどうしようもなかった。

この記事を書いているのが通信制高校1年の11月です。

ちょうど昨年の今頃が大きな転機だったように思います。

そら

振り返って当時の気持ちを書きます。

目次

不登校の始まり

中2の2学期の終わり頃から不登校になりました。

なかなか起きない。起きても体調不良が続いて学校には行けません。

起立性調節障害と病院で診断されました。

最初は体調さえ良くなればいけると思ったんですね。

病院にも通い、投薬治療もしていました。

起立性調節障害にいいとされることはいっぱい試した。

そして、遅刻してでも保健室にでも行かせようとしました。

でも、みんなが帰った後の真っ暗な学校にしか行けませんでした。

冬休みとなり、少しずつ元気になっていった。

3学期からの復学を目指した。でも、始業式、友達が待っているのに玄関からの1歩が出られず泣いていました。

行きたくても行けないんだとわかった。

休校中の様子と学習状況

しばらくして、コロナで休校となり長い休みとなりました。

私一人で通知表を取りに学校に行き、担任と最後にゆっくり話しました。

その時は公立の全日制高校に行くには、どれぐらいの欠席までならなんとかなるのか?

今の成績で行けるのか?そんな質問をしていました。

不登校直前の成績が一番伸びていました。私がびっくりするほどの成績に。

進学校に行って大学に行く。少しでも偏差値の高い高校へ行かせるんだ。

こんなことになると想像していなかった。

休校前は課題は提出していたし、まだ勉強ができていました。塾も行けていた。

担任は進学校が無理でも、まだ公立はこの成績で十分行けると言っていました。

友達と同じ高校に行ける。全日制高校の選択肢が一番に来ていました。

それが娘の希望だし、娘のためだと思っていたんですね。

通信制高校の選択肢も頭の片隅にはあり、少しずつネットで調べ始めていた。

でも、最後の選択肢のように考えていました。

自分にも偏見があったのかもしれない。

休校となり、また元気になっていきました。

みんなが一緒に休んでいるって罪悪感がないんです。

罪悪感から自己否定感に繋がり心を病むんですよね。

ただ、大量の宿題に苦戦していました。

宿題をためるような子ではなかったのに。

不安なことで頭がいっぱいで、勉強ができない状態になっていました。

記憶できない、全然解けない。書けない。そう言っていました。

そら

この頃から不安障害の症状が強く出てきました。
カウンセリングに通い始めました。

中3の1学期、受験生となってからの葛藤

長い休校期間が終わり、学校が始まりました。

クラス替えも配慮があり、仲の良い子と一緒になりました。

学校に行きたい。行かなきゃ。毎朝、そう言い続けていました。

受験生になる。本人が一番行かなきゃと思っていました。

最初の数日は行けて、家族も友達も先生も本当に喜びました。

これも後から考えると喜んだらプレッシャーとなるだけなんですよね。

行けなきゃがっかりする。子どもを追いつめます。

あの頃は難しかったですね。泣いて喜んでいた。

今は行っても行けなくても変わらない。平常心でいるようにしています。

でも、続きませんでした。やっぱり行けなくなりました。

友達が迎えに来ても行けなくて、一緒に通いたいと泣く日々が続きました。

毎朝のこの状態が親子で本当にしんどかったです。

選択肢がなくなっていく。行かなきゃいけないという気持ちは中2よりも強かった。

テストも受けようとしたけど行けませんでした。

次々と身体の不調も訴えるし、部屋にひきこもっていきました。

そら

この頃が一番辛かったですね。
休校中の笑顔がまた消えた。
生きていてもいいことはないと言っていました。
学校って何なんだろうと思った。
こんなに苦しんでまで行くところではないんですよね。

全日制高校の可能性は希望?

夏休みに入ってすぐに三者面談があり、担任と二人で話しました。

中3の1学期、通知表が初めてオール1となりました。

出席日数も内申点も厳しくなりました。

それでも、2学期から登校すれば、まだ公立の全日制高校の可能性はあると言われました。

レベルをかなり落とせばです。もしくは、不登校の子を受け入れている私立を考える。

けど、もう自分の中では前向きな可能性として思えなかった。

また苦しむだけ。もうその姿を見たくない。それどころではない。

そら

この頃は電車にも乗れない状態。
もう、生きているだけで精一杯。

優先順位と視点の変化

2学期が始まりましたが行けませんでした。

もう学校はいい。受験勉強もいい。テストもいい。

ただ楽しいことをして心の充電をしようと思いました。

元気で生きていてくれたら、もうそれだけでいい。

周りが何と言おうと私が守ろうと思いました。

諦めたのとはちょっと違うんですね。

今、大切なこと、優先すべきことがわかった。

そして、全日制高校に行くことが、この子にとって良いことだとは思わなくなりました。

みんなと同じじゃなくていい。他の選択肢が希望に変わった。

子どもの気持ち|希望と現実の葛藤

娘は今までの道しか知らない。現実的に厳しくても、みんなと同じがいいんです。

なら、頑張ればと思うけど、それが無理なんです。

だから苦しむ。進路について話すと心が不安定になる。

気持ちは全日制高校に行きたくても身体が無理なんです。

その状態を本人が受け入れるには時間がかかります。

受験について考えなきゃいけない時期だけど、医師とも相談して今は話さないことにしました。

このまま決まらず卒業するかもしれない。

それでもいい。生きていたらなんとかなる。

そんな時に娘自身が通信制に行くと言いました。そして、個別相談会に参加して今に至ります。

最後は娘が決めました

分岐点|受験生で不登校の場合の進路について思うこと

不登校の中、受験を迎えるのはしんどいです。

どんどん追い込まれていく気がしました。

なんでこの時期に…もっと時間が欲しいと思いました。

でも、この時期だからこそ、こうなった気もするんです。

不登校になる前、受験のゴールは高校合格だと思っていました。

でも、受験は娘の長い人生の通過点、分岐点の1つです。

勉強はいつからでも始められるし、みんなと同じようなペースで平均的に学ばなくてもいい。

環境が変われば、今までできなかったことができるようになることもあります。

決められない時もある。進んでみたら違ったってこともある。

そしたら、また別の道がある。視野が広がれば別の道は見えてくる。

義務教育から解放されて、新しい環境を選ぶことができる時期でもある。

軌道修正もできるんだと前向きに考えました。

1年後の今の気持ち

あれから1年が経ちました。あの時の選択を私も娘も後悔してないです。

たらればを考えなくなりました。これで良かったんだと。

娘自身が選んだからね。←ここが大事。

周りと比較することがなくなりました。

比較するのはこの子自身。1年前より確実に成長してる。大丈夫。

まだまだ、いろいろ躓いて転ぶことがあるけれど、立ち上がるのが早くなりました。

それは自分も。そういう時もある、まぁいっかって思う。

そら

一年前よりは家族で穏やかに暮らしています(*^^*)

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