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中3の不登校|勉強してない、テストも受けてない子の高校受験や進路

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このタイトルは、うちの娘の中3の時の状態です。

この状態を心配しない親はいませんよね。めちゃくちゃ悩みました。

この記事を書いているのが高1の10月半ばです。

ちょうど昨年の今頃が大きな転機だったように思います。

そら

振り返って当時の気持ちを書きます。

目次

不登校の始まりと登校刺激

中2の2学期の終わり頃から不登校になりました。

なかなか起きない。起きても体調不良が続いて学校には行けません。

起立性調節障害と病院で診断されました。

最初は体調さえ良くなればいけると思ったんですね。

病院にも通い、投薬治療もしていました。

学校から足が遠ざからないように遅刻してでも、保健室にでも行かせようとしました。

でも、みんなが帰った後の真っ暗な学校にしか行けませんでした。

それでも精一杯頑張ってたんだけど、授業に出てほしいと思っていました。

冬休みとなり、少しずつ元気になっていった。

3学期からの復学を目指した。でも、始業式、友達が待っているのに玄関から出られず泣いていました。

ちゃんと制服を着て玄関まで行った。

行きたくても行けないんだとわかった。

そら

様子が尋常ではない。ことの重大さに気づいた。
心の問題です。

休校中の様子と当時の母の通信制高校に対する考え方

しばらくして、コロナで休校となり長い休みとなりました。

通知表を取りに一人で担任に会いに行き、ゆっくりと話しました。

その時、公立全日制に行くには、どれぐらいの欠席までならなんとかなるのか?

今の成績で行けるのか?そんな質問をしていました。

不登校直前が一番伸びていましたね。私がびっくりするほどの成績に。

進学校に行って大学に行く。少しでも偏差値の高い高校へ。

こんなことになると想像してなかった。

休校前は課題もこなして提出していました。まだ勉強ができた。

担任は進学校が無理でも公立は行けると言っていました。

全日制高校の選択肢が一番に来ていました。

通信制高校の選択肢も頭の片隅にはあった。少しずつネットで調べ始めていた。

でも、それは最後の選択肢のように考えていました。

自分にも偏見があったのかもしれない。

休校となり、また元気になっていきました。

みんなが一緒に休んでいるって罪悪感がないんです。

罪悪感から自己否定感に繋がり心を病むんです。

ただ、大量の宿題に苦戦していました。

宿題をためるような子ではなかったのに。

不安なことで頭がいっぱい。勉強ができない状態になっていました。。

そら

この頃から不安障害の症状が強く出てきました。
カウンセリングに通い始めました。

中3の1学期、受験生となってからの葛藤

受験生になる。本人が一番行かなきゃと思っていた。

長い休校期間が終わり、学校が始まりました。

最初の数日は行けました。家族も友達も先生も本当に喜びました。

でも、私だけは続かないと思っていました。心が回復してない。

やっぱり行けなくなって、友達が迎えに来て、一緒に通いたいと泣く日々が続きました。

この状態を救ってくれた先生がいて、もう夕方でいいじゃん、朝はやめようって娘に言った。

それで、友達との約束もやめた。この時は学校側から言い出したんです。

後から聞いたら不登校に理解がある先生でした。このままだと心が壊れる。

私も「行かなくても大丈夫」と言っていた。

でも、受験生だから選択肢がなくなっていく。

行かなきゃいけないという気持ちは中2よりも強かった。

テストも受けようとしたけど行けませんでした。

次々と身体の不調も訴えるし、部屋にひきこもっていきました。

そら

この頃が一番辛かったですね。
休校中の笑顔がまた消えた。
学校って何なんだろうと思った。
こんなに苦しんでまでいくところではないんですよね。

全日制高校の可能性は希望?

夏休みに入ってすぐに三者面談があり、担任と二人で話しました。

中3の1学期、通知表が初めてオール1となりました。

出席日数も内申点も厳しい、でも、2学期から登校すれば、まだ公立の全日制高校の可能性はあると言われました。

レベルをかなり落とせばです。

もしくは、不登校の子を受け入れる私立高校を考える。当日点で勝負するってことですね。

けど、もう自分の中では前向きな可能性として思えなかった。

また苦しむだけ。もうその姿を見たくない。それどころではない。

そら

通信制高校にも行けない・・・に変わっていました。

優先順位と視点の変化

2学期が始まりましたが行けませんでした。

もう学校はいい。受験勉強もいい。テストもいい。

ただ楽しいことをして心の充電をしようと思いました。周りが何と言おうと。

元気で生きていてくれたら、もうそれだけでいい。

諦めたのとはちょっと違うんですね。大切なこと、優先すべきことがわかった。

そして、全日制高校に行くことが良いことだとは思わなくなりました。

みんなと同じじゃなくていい。他の選択肢が希望に変わった。

本格的に情報収集をして、娘が必要な時に伝えられるようにしようと思いました。

そら

それが、昨年の秋、この時期なんです。
私にとっての動くタイミングがこの時でした。

子どもの気持ち|希望と現実の葛藤

娘は今までの道しか知らない。現実的に厳しくても、みんなと同じがいいんです。

なら、頑張ればと思うけど、それが無理なんです。

だから苦しむ。進路について話すと心が不安定になる。

受験について考えなきゃいけない時期だけど、医師とも相談して今は話さないことにしました。

このまま決まらず卒業するかもしれない。

それでもいい。生きていたらなんとかなるから。

そんな時に娘の心が動きます。そして、通信制高校の個別相談会に参加して今に至ります。

分岐点|受験生で不登校の場合の進路について思うこと

中3の時期に不登校が続いていると焦ります。本人も親も悩みます。

なんでこの時期に…もっと時間が欲しいと思いました。

でも、この時期だからこそ、こうなった気がするんです。

不登校の子のお母さん達とたくさん交流してきました。

全日制高校、全寮制の高校、定時制高校、通信制高校、家業を手伝う。

いろんな道に進んでいきました。

自宅療養を続けている子もいます。それも進路の一つです。

いじめや先生が原因であれば、別の学校なら通えるようになる。

ただ、傷ついた心の状態により、まだ療養が必要な子もいる。

美術、音楽、語学、美容、看護、eスポーツなど、やりたいこと、専門コースで頑張ろうと思った子もいる。

大学には行きたい。サポート校で勉強を頑張っている子もいる。

娘のように通信制高校に入った子も多い。通える範囲で高校卒業資格目指す。

ひきこもってたけどアルバイトを始めた子もいます。

見違えるようにいきいきとした子もいます。

通うのが難しくなり、転校をした子もいます。

不登校になる前、受験のゴールは高校合格だと思っていました。

その先に大学が続いている。偏差値を気にしていました。

通えない、卒業できないなんて考えていなかった。

でも、受験は娘の長い人生の通過点、分岐点の1つだと思った。

勉強はいつからでも始められるし、みんなと同じようなペースで平均的に学ばなくてもいい。

今は通信制高校のレポートをやって、テストも受けています。

不登校中に見つかった才能があって、仕事として頑張っています。

環境が変われば、今までできなかったことができるようになることもあります。

決められない時もある。進んでみたら、違ったってこともある。

そしたら、また別の道がある。視野が広がれば別の道は見えてくる。

不登校の中、受験を迎えるのはしんどい。どんどん追い込まれていく気がしました。

でも、義務教育から解放されて、新しい環境を選ぶことができる時期でもある。

分岐点で立ち止まって考えることができる、軌道修正もできる時期なんだと捉えた。

1年後の今の気持ち

あれから1年が経ちました。あの時の選択を私も娘も後悔してないです。

たらればを考えなくなりました。これで良かったんだと。

娘自身が選んだからね。←ここが大事。

周りと比較することがなくなりました。

比較するのはこの子自身。1年前より確実に成長してる。大丈夫。

まだまだ、いろいろ躓いて転ぶことがあるけれど、立ち上がるのが早くなりました。

それは自分も。そういう時もある、まぁいっかって思う。

そら

一年前よりは穏やかに暮らしています(*^^*)

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